銀仕掛けの天球儀事件 壱

 これはとある探偵たちの、或いは怪盗たちの。彼彼女らの始まりを記した、プロローグになり得るひとつの小さな事件。
 パソコンの画面に映るそれは、くるくると真ん中が回転して、意味なく思える運動をずっと続けていた。
 模型のようにも見えるけど、それが模型だとして一体何を指しているのかまったくわからない。のぞき込みながら首を傾げていると、人影―――東雲 宵一(しののめ よいち)はそれを察して口を開いた。
「これは天球儀だ」
「てんきゅうぎ?」
天文学の部類だからお前には話もわからん」
「うーん、わかんないだろうなってわかった」
 くるくる回るそれを見ているとなんだか眩暈がする。美しい銀に包まれたか細い曲線は、何か脳に訴えかけるものがあった。
「これ盗むの?」
「ああ」
「宝石とかの方が高く売れそうだよ?」
「売るために盗むわけじゃねえよ。なんならこれはどっかに捨ててもいい」
「えー!それじゃあ来月のおやつ代はどうするのー!?」
「うるさいな、これはこれで価値があるんだよ」
 東雲が画面をクリックすると、天球儀は回転を辞めた。ただの動画なのだが、後ろの人影はまだそれに興味津々だ。
 どうしてどうしてと正解を請われて苦い顔をする。こいつはすぐに正解を知りたがる。自分で探すという手順を踏む悦びをまるで感じられないタイプだから、怪盗になってよかっただろう。探偵にはちっとも向いてない。
 だから東雲は、握りしめたリモコンを見て笑った。浮かぶ間抜けな面が可笑しくて可笑しくて、たまらないのだ。
「これなんなのー? どうして盗むのー?」
「なんだお前、いつもは何盗むかなんて気にしない癖に」
「だって宝石とか絵とかは、それだけで価値あるんだなってすぐわかるもの」
「まあ確かにな」
 マウスを操作して別の画面を開く。白黒で表示されている文字と写真の羅列に人影―――明乃(あけの)は目を細めた。
 日付は丁度二年ほど前。すぐにそれが新聞だとわかったが、二年前はニュースにさほど関心がなく―――今も殆どないのだが―――こんな記事は見たことがない。
 白黒の写真は二枚あって、一枚は先程の天球儀が色褪せて映っている。そしてもう一つの写真には不愛想な女の顔が。
「二年前―――この天球儀は犯罪者の手によって盗まれてる」
「犯罪者? 怪盗?」
「どうだかな。犯人は天球儀が飾ってあった博物館の警備員を二人刺してる。一人は重傷、一人は出血多量で死亡―――」
 スクロールしていくと、その事件の概要が簡潔にまとめられていた。
 銀仕掛けの天球儀事件。古代ギリシアに作られたとされる最古の天球儀の大々的な修復が決定され、ボロボロの天球儀を飾る最後の日となったその夜。犯人は博物館に潜入、後警備員二名を刺し天球儀を持って逃亡。その三日後博物館が独自に雇った探偵と警察の協力を得て犯人を突き止め、天球儀は取り戻された。
 無事に修復され、美しい銀色を纏うようになった天球儀は今も博物館に飾られている。この探偵の栄誉を、私たちは忘れないだろう。
「と、まあそんな感じで、当時はこの探偵ってのがえらい持て囃されたんだよ」
「それでそれで?」
「そんでたまたま―――……色々調べてた時にヒットしただけの事件なんだけど」
 東雲は女の写真を見る。取材を断っているようなそぶりにも見えるその写真の隣には、髭を生やした男がぼやけて映っていた。
「くせえんだよな……」
「え? 確かになんか焦げ臭……あーーー!鍋の火つけっぱなしだった!焦げてる!絶対焦げてるーー!!」
 その髭面の男を知っている。どう考えてもこいつは“そっち側”ではないのに、どうしてそこにいるのか。
 いやに親しそうな探偵の女と、たびたび連絡を取り合っていることまで突き止めているのだが。
 ――――己で世間を沸かせることに執着していない東雲は、仲間に甘い節がある。鍋の火を止めに行ったあの子を始め、基本的に仲間には優しいつもりだし、助け合うことも厭わない主義だ。
 だがその分、裏切りや制裁的な行為には厳しい。少なくとも大昔、東雲が出会った髭面の男は“怪盗”であった。巧みに人を騙し上手くその場を躱せる逸材だったと覚えているが、探偵を自称している女と仲がいいとは、一体どういう了見なのか。
 理由が知りたい。態々“探偵を仕立て上げてまで天球儀を取り戻した”理由を。
 後日改めて自分が盗むわけでもないのに、この男はどうして天球儀を取り戻したのか。もしもそこにいけ好かない理由があって、これから先自分の道の邪魔をするようなことがあれば困る。
 いや、何方にせよ面白くない。一度盗んだものを返すなんて、怪盗としてさっぱりゼロ点だ。捕まった男も、捕まえたこの髭面も、ついでに探偵の女の正体も全部暴いて白日のもとに晒してみせる。
「怪盗VS探偵……って、なんかB級くせえな」
 どっちが正義か、試してやる。
 思って東雲はひとりで笑った。背後で焦げ付いた鍋に嘆く声など、何も聞かなかったことにして。







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「果たし状? アタシに?」
「困ったもんだな」
「困ってるのアタシなんですけど」
 不機嫌顔の女、水守 綾(みなかみ りょう)は腕を組んでむくれていた。スーツ姿の男は運ばれてきた珈琲に口を付け、落ち着いた表情で話しているが、それがまた気に喰わない。
 出された黒い封筒は細く赤い線でふちどられている。迷わず開ければ中から小さなカードが出てきた。そこには水守の名前と、明日で二年になる日付が記されていた。
 他には何もない。が、この赤と黒に彩色された封筒には覚えがある。
「……怪盗ってやつね」
「そ。此処一年くらいで大々的に表に出てきた二人組。盗んだ数は今年だけでもう十五品」
「それでまだ捕まってないの? 馬鹿しかいないのね」
「全くもってその通り。そいつらは盗むのが目的ってわけじゃないみたいだし」
「? じゃあなんで?」
 聞き返しながらカードを封筒に入れなおす。煙草をふかしながら片手で髭を触る男は、うーんと唸ってから答えた。
「愉快犯……みたいなものかな」
「そういうタイプが一番厄介だわ。ていうか何でアタシ?明日って何かの記念日だっけ?」
とぼけた様な事を言う水守に男は「ええ……」と困った顔をする。ほんとに覚えてないの?と聞いてくるものだから脳内で必死に検索をかけるも、特に日付に心当たりはない。
 二年前の今頃、何をしていただろうか。思い返してみればそのあたりから探偵として彼からの依頼に応えるようになったのだが。
「……うーん……あ……!」
「思い出した?」
「“天球儀”!」
「ご名答」
 そう、明日の二年前。大々的にメディアにまで取り上げられた、“銀仕掛けの天球儀事件”が起こった日。
 この男からの依頼を聞く様になってから初めて巻き込まれた大きな事件だ。
 と、言っても水守は特に何もしていない。目の前に座る男は元から犯人を知っていたし、それをなんとなくそれっぽく纏めて事件解決を謳っただけだ。水守は天球儀の価値もあまりわかっていないし、そこにどんな意味があるのかも知らない。だけど彼にとっては重要な事だったらしい。自分が目立たないように事件を解決するためと言って、水守をメディアの前に置いた。たったそれだけのこと。
「それをアタシの所為みたいに……って待って、あの犯人まだ服役中だよね?」
「そうだな」
「じゃあなんでこんな果たし状貰っちゃったワケ? 誰にも迷惑かけてないつもりなんだけど。これもっかい盗むからかかってこいってことでしょ」
「そうなるなあ」
「ちょっと。真面目に考えてる?」
「うーん」
 男は唸る。特に思い当たる節もなければ、水守が果たし状なんて受け取る理由も思いつかない。
 やはり狙いなんてないのだろうか。いいや、それにしたってこんな直接指名するような真似は今までしてこなかったはずだ。
 一体何を考えている。どうして天球儀を狙う必要がある。
 考えども答えは出ない。結論、考えても無駄だとわかって男はパッと笑った。
「後で聞けばいいんじゃない」
「はあ? ……ああ、捕まえてからってことね」
 水守が笑う。この世界の何処かに潜んでいる犯人を思って、心の中で毒を吐く。 
「ま、怪盗VS探偵なんてオツでいいかもね」
 思ってもないことを言ってから伝票を取った。喫茶店の会計は常に交互に払う……と口にしたわけではないが暗黙の了解ができている。不味い紅茶を飲まされた―――もとい飲んでしまった時は絶対に男に払わせるが、今日は珈琲にしたし気分がいい。 
「その果たし状、しかと受け取った。明日こっちから行くから……しっかりしてよね」
「了解。準備しとくよ」
 ひらひらと振る手を見てからレジに向かう。
 あの頃と違い、今はもう探偵業に慣れ始めてきたし、自分の力もそれなりについたはずだ。
 だから負ける気はしない。美しい銀色になったあの天球儀を、今度は自分の手で守れる。
 正義感なんて微塵もありはしないが、調子に乗っている人間をぶちのめすのは大好きだ。
 思って水守は店を出た。明日までに例の一派のことを調べようと意気込んで、少し背を伸ばした。





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「銀仕掛けの天球儀事件」
「テンキュウギ?」
「たまに、馬鹿でもいいからせめてミステリーオタクとかいう設定があったらな、って思うよ」
「それわたしの話!?」
「そう」
 流れるニュースを横目に見ながら、探偵・宮山 紅葉(みややま こうよう)は口を滑らせた。
 二年前に起こった天球儀事件再び、と書かれた文字列は脳に多大な刺激を与える。
「行ってみる?」
「何に?」
「明日、怪盗が来るってさ」
「え!? どこどこ!? イオンモール!?」
「いや、イベントとかじゃなくて」
 せめてその存在が、助手の頭の足しになれば……と考えてみる。
 いや、多分無理だ。こいつは謎に対する好奇心や欲求なんてものからほど遠い人間だ。それを一行ずつ解いていく悦びをまったくしらないから、探偵には微塵も向いていない。
 いっそ怪盗の方がよかったんじゃないかとすら思う。
「事件ですよ、先生」
「ほうほう、みやまくんついてきたまえ、わたしの素晴らしい推理をご覧あれ!」
「いつもそのくらい意気込んでくれてたらいいんだけど」
 助手――――もとい先生……もとい助手、木野宮きのみ(きのみや きのみ)の頭に手をぽんと置く。
 この助手は酷く馬鹿だ。にもかかわらず探求心や好奇心が薄い。だから余計馬鹿だ。
 このままではいけない。任されている以上、この小娘を探偵に仕立て上げるのは自分の役目だから、どうにかしなければ。
「そんじゃいこうか、センセ。茶々入れにさ」
「任せて!たまには役に立つよ!!」
「普段役に立ってない自覚があったんだね」
 溜息を吐きながら席を立つ。なんやかんや理由をつけたが、自分も楽しみには変わりがなかった。 
「怪盗VS探偵なんて……最高だね」
 笑う口元を隠して、東京最弱の探偵を連れて、宮山は部屋を出る。